これ見た!?

子供の頃うちはど貧乏だった・・・母の誕生日に何もあげられない。街を歩くとコスモスが咲いてる家があって・・・

子供の頃うちはど貧乏だった・・・母の誕生日に何もあげられない。街を歩くとコスモスが咲いてる家があって・・・

今回紹介するのは、ある人物の子供の頃のコスモスに関するお話です。

ぜひご覧ください。

子供の頃うちはど貧乏だった

コスモスの時期になると思い出すんだが、子供の頃うちはど貧乏だった。

親父が蒸発して、母親が夜遅くまで働いてた。

学童みたいなのが地域になくて、学校から家に帰ると、菓子パン食べて、

それから友達の家行ったり、小遣い貰ってないからただ近所を散歩したりして、

真っ暗になるまで時間潰してた。

ある日、少し遠い街を歩いてたら、庭にコスモスがいっぱい咲いてる家があって、

その時頭にあったのが「今日お母さん誕生日なのに何もあげられない」で、

たまたま庭に出てきたおばさんと目が合ったので、

「こんにちは、すいませんが、コスモスを一本貰えませんか」と話しかけた。

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理由も伝えて、「これで憐れんで一本くらいくれるだろう」と思ったら、予想の上を行った。

コスモスで花束を作ってくれた。

家に上げられ、リボンを一杯並べて、「花束に好きなの巻いてごらん」と言われた。

きれいな便箋をくれて手紙書きなさいと言われ、「ママ大好き」とか書いた。

硬いクレヨンみたいなの貸してもらって、母親の似顔絵も描いた。

お菓子も食べた。

おばさんも手紙を書いて、「これもお母さんに渡して」と言われた。

プレゼントを渡すと・・・

お礼を言って帰って、家で母親の帰りを待って、やっと帰ってきた母に

プレゼントを渡すと、

「こんなのどうしたの?」と初めは怒ってるような驚き方だった。

知らないおばさんから貰ったんだよ、と説明してもなんだか納得いかない

ようなこと言ってたけど、おばさんからの手紙を読んだら、泣いて「ありがとうね」と

言ってて、あーおばさんが説明してくれたんだなー良かったーと思った。

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母親のアパート片づけてたら・・・

そんな手紙のこと忘れてたけど、母親が痴呆で施設入った後、母親のアパート片づけてたら、

段ボールの中にその時の似顔絵と俺の手紙とおばさんの手紙が残ってて、

あーおばさんこんなこと書いてたのか、とわかった。

「息子さんの気持ちに打たれ、拙宅のつまらない花ですが差し上げました。

優しいお子さんをお持ちですね。

うちにも子供がいましたが、小学校までは生きられませんでした。

女手一つでお辛いでしょうが、どうかこれからもお子さんを大事にして下さい。

陰ながら応援しております」

とか書いてあった。

俺の子育てにあれだけ苦労した母親なんだから、俺の苦労は苦労じゃないよな、

と思って施設に通ってる。

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いかがでしたか?

とてもほっこりするお話でしたね。

皆さんはどう思いましたでしょうか?

もしよろしければ、記事へのいいね・シェア・コメントよろしくお願いいたします(#^^#)

出典元:open2ch