これ見た!?

先日、無事就職できた義妹のある行動で私は号泣する…

先日、無事就職できた義妹のある行動で私は号泣する…

今回紹介するのは、ネットで話題になった義理の妹とのお話です。

ぜひご覧ください。

私が元嫁の妹を、不登校から学校へ復帰させた時の話

私が元嫁の妹を、不登校から学校へ復帰させた時の話になるから、不登校の知り合いがいる人は参考になるかもしれない。

元義妹は、小学生の頃からイラストを書くのが好きで、クラスメイトからもそこそこ人気があったらしい。

しかし中学に上がってからは、他校出身の子に自分のイラストをオタクっぽくてキモいと馬鹿にされて、中学校に行くのが嫌になり、夏休みが終わっても学校へ行けず、そのまま不登校になってしまった。

元義妹が不登校のまま、学校に一度も行けずに2年生になった春、私は元嫁を通じて彼女と面会した。

最初はかなり警戒されたが、私が同じく不登校であったことや同じ趣味であるイラストの話などをしている内に、心を開いてくれ、徐々にだがある程度踏み込んだ話ができるようになっていった。

ある時、元義妹は私に『なぜ学校に行けと言わないの?』と聞いてきた。

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私は無理に学校に行く必要はないと考えており、不登校になったこと自体はそこまで後悔していなかった。

学校に行かなかったことよりも、学校へ行っていない間、ずっと遊んでいたことを後悔していたからだ。

私が学校へ行かず、家に篭って遊んでいたことで失ったものは多かった。

・中学校で身につくはずの学力の全てと、勉強をする習慣

・学力が無いために狭まってしまった進路の選択肢

・一番成長する時期に運動しなかった事で、伸びなかった身長と体力

・クラスメイト達と培えたであろうコミュニケーション能力

・他の大多数の人間が当たり前に修める義務教育を修められなかった事からの自信の喪失

他にも、失ったものは多かったと思うが、中学校に行かないで遊んでいた私は、人生においてあまりにたくさんのものを失った。

いや、失ったというよりは自ら捨ててしまったのだが、特に、数学、英語といった積み重ねの重要な教科において基礎が出来ていないことに加え中学で養われる、テストに向けて計画的に勉強する。という習慣が全く付かなかった事が非常に大きく高校、大学と進学しても、ずっとその事が私の足を引っ張ることになった。

私はその事を元義妹にゆっくりと説明し…

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私はその事を元義妹にゆっくりと説明し…

学校に行かなくてもいいが、行かないのなら他のみんなが学校で学ぶことをしっかりと身につけなければいけないと説いた。

ただ、何の目標もご褒美もなしに勉強しろと言われても、やる気も出ないだろうと考え…、私が不登校だった時、テストだけでも保健室で受けないかと担任に打診されたことを思い出し、元義妹の担任に相談した結果、中間・期末テストを放課後に空き教室で受けられる事になり、それを目標に勉強していくことになった。

ご褒美は、主要五教科の点数によってお小遣いを与えるというものとした。

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平日は午前10時から12時までの二時間の間、集中して勉強する習慣を付けることと、家事の手伝いをする事を条件に…

平均点より上なら一教科につき5000円、

平均点より20点上なら、一教科につき1万円

当然、勝手に親御さんに払わせる約束をするわけにも行かず、

私が自腹を切ることになった。

他にも勉強とコミュニケーションの練習の一環として、私に勉強を教えてくれるように頼んだ。

中学生に教えてもらうのは恥ずかしかったが、人に勉強を教える事こそが勉強になると聞いたため恥を忍んだ。

また、歴史の要素を含むゲームを一緒にやったり、休日には半ば強引にスポーツに誘ったりもした。

元義妹は最初はテストだけでも学校にいくのは嫌だと言っていたが、お金に釣られたのか、危機感があったかは分からないが、テストごとに私から5万円を絞り取った。

金銭的負担は厳しかったが、将来彼女が苦しむことを考えると、1000万円でも安いものだと自分に言い聞かせた。

そして私は、元義妹をとにかく褒めまくった。

先述の通り、不登校の人間というのは学校に行けないことで、自分の事を社会不適合者だと思ってしまう。

普通の人間が普通に通っている学校に行けない事で、常にマイナスの状態に自分があると思えてしまい、自信をどんどん失っていく…

持論になるが、自分に自信が持てないというのは、生きていく全ての事でマイナスの要素にしかならない。

なので、たとえ彼女が金につられて勉強しているだけだとしても、とにかく褒めることで自信をつけてもらおうとした。

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元義妹は、毎日2時間とはいえ集中して勉強する習慣がついていたため、学力も平均以上を維持し、自分の日々の努力がお金という形で証明されることが良かったのか、どんどん自信も付けていった。

元義妹が3年になる前の春休みに、3年からは学校に行きたいが、クラスメイトからどう思われるかが気になると相談された。

私が中学三年の三学期にようやく復学した時の体験談を交えて話し、そこまで気にされない事を説明するとテストのご褒美制度を継続することを条件にだが、彼女は一年以上休んでいた学校に復帰することが出来た。

その後、不登校だったため内申点はそこまで良くなかったらしいが、テストの点は良かったためなかなかの高校へと進学することができ私が褒めまくっていた趣味のイラストやデザインの仕事をしたいと美術系の大学へ入学し、無事に卒業。

中学生活の半分が不登校だったとは思えない、私が羨ましく思うほど順調な学校生活を送っていたようで去年の春からはある程度希望通りの仕事に就き、毎日楽しそうに頑張っているようだ。

そしてこの年末。私が実家に帰ると…

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そしてこの年末。私が実家に帰ると…

今までのテストのご褒美と高校の合格祝いで渡した合わせて50万円を元義妹が用意していた。

彼女は深々と頭を下げ、

『私が自分で稼いだお金です。貴方のおかげで、夢だった仕事に就くことが出来ました』

と言ってくれた。

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私は10歳以上年の離れた元義妹の前で、子供のように泣いてしまった。

長々と書かせて貰ったが、本当はみんなに聞いて欲しかっただけなんだ。

私みたいな頭も悪く、なにも誇るものがなかった人間に、やっと誇れるものが出来たと自慢したかった。

元義妹は私に救われたと言ってくれたが、一番救われたのは私自身だったと思う。

-終わり-

いかがでしたか?

無事、義理の妹さんを立ち直らせることが出来て良かったですね(#^^#)

もしよろしければ、ご意見ご感想よろしくお願いいたしますm(_ _)m

出典元:kohada.open2ch.net