【※奇跡の実話】嬉しそうに写真に写る母親と父親。しかし、医師たちは赤ん坊の顔を見て普通じゃないことに気がついた!奇跡の実話2選


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嬉しそうに写真に写る母親と父親。しかし、医師たちは赤ん坊の顔を見て普通じゃないことに気がついた!奇跡の実話2選

皆さんは、奇跡を信じますか?

私は、奇跡を信じてます。

今回紹介するのは、海外の奇跡的な出来事を2つです。

とてもスゴイ出来事だからぜひご覧ください!!!

奇跡の実話1

今回ご紹介するのは、アメリカ、アラバマ州バーミンガムに住むネルソン一家のお話です。

母のアンバーと父のリーヴァイ、そして娘たちの

リリー(5歳)とジョージー(2歳)の4人家族でした。

そして、母のアンバーのお腹には新しい命が宿っていました。

幸せそうに見える家族ですが、この頃、若い夫婦は

実は大きな困難に直面していたのです。

夫婦は二人目の娘ジョージーが産まれたとき、子供はもう作らないという考えで一致していました。

ところが病院での診断結果を受け、夫婦はその考えを改めます。

意に反して、アンバーが三度目の妊娠をしていることが分かったからです。

その上、今回の妊娠はこれまでとはすべてが違っていました。

それは・・・

アンバーのお腹の中にはなんと、三つ子がいたのです。

一家にとってこの大きな衝撃は、幸いにもすぐに喜びに変わったそうです。

アンバーとリーヴァイは三つ子の誕生に備えて一緒に力を合わせていくことを約束しました。

やがて家族の友人たちも協力して、今回の出産にかかる費用の為に

募金活動を立ち上げてくれました。

しかし、生みの痛みに耐えるのはアンバーの仕事。

アンバーにとってはこれが初めての出産ではありませんでしたが、

いざ陣痛が始まると、激痛は想像以上のものでした。

元々アンバーは自然分娩で産みたいと考えていましたが、

産まれるのが三人同時となると話は変わってきます。

最終的に彼女は帝王切開での出産を選択しました。

帝王切開自体はそれほど珍しい分娩方法ではありません。

しかし、アンバーにとっては多少複雑な状況となってしまいます。

彼女は大量に出血し、命を失いかけてしまったのです。

心臓マッサージと大量の輸血を経て、アンバーの容体はようやく落ち着きました。

若い母は一生懸命に戦い、三つ子の女の子を立派に出産しました。

初めて3人の赤ん坊を自分の手に抱いたとき、あれだけの辛さを乗り越えることができたのは

このためだったんだと思えたそうです。

さらに、この三つ子の顔を見た医師は驚きます。

それは・・・

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それは3人の赤ん坊の顔がどれも同じだったからです。

つまり、一卵性の三つ子。

一卵性の三つ子というのは生物学的に見ても非常に稀で、

医師たちもこれまで見たことがありませんでした。

一卵性の三つ子が産まれる確率は、2億分の1。

これは、6つ以上の数字を選ぶ宝くじをピタリと当てるのと同じ確率なんだとか。

まさに奇跡に近い三つ子といえます。

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大変な出産を経て、2016年2月20日に誕生した三つ子。

明るい色の目をしたかわいい女の子たちは、ノラ、ライアン、レミと名付けられました。

両親は一気に7人家族になれたことを、心から喜びました。

一家の兄弟たちも本当に仲が良く、いつでも一緒にいるそうです。

こちらは、ネルソン一家の物語を紹介した動画です。(英語音声のみ)

 

大変な出産を乗り越えて誕生した奇跡の三つ子ちゃんたち。

とっても可愛いですね!

最近では大家族というものをあまり見かけなくなりました。

家族計画にこだわると、大切なものを見逃してしまうかもしれませんね。

奇跡の実話2

南アフリカ出身のマーティン・ピストリウス(MartinPistorius)さんは3人兄妹の一番上で健康な男の子でした。

マーティンさんは1976年に南アフリカのヨハネスブルグに生まれ、

機械技師の父・ロドニーさんとレントゲン技師の母・ジョアンさん、

さらに妹と弟と共に幸せな生活を送っていました。

しかし、12歳のときに突如激しい喉の痛みに襲われました。

最初はただの風邪だと思っていたのですが、どんどん食欲がなくなっていき、

日中に何時間も眠ったり、歩くと足に激痛が走ったり、

風邪とは思えない症状が次々に現れたのです。

ただ事ではないと感じ、両親は数々の有名病院で診察や検査を受けさせたのですが、

病名や治療法は判明しません。

さらに、イギリスやアメリカなどの国外の専門医にも助けを求めました。

そんな中、マーティンさんは思考力、記憶力までもが徐々に失われていき、

やがて「クリプトコッカス髄膜炎」を発症します。

そして、ついに昏睡状態に陥ってしまったのです。

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母ジョアンさんはレントゲン技師の仕事を辞め、1日中マーティンさんの看病をする生活をスタートさせます。

しかし、意識を失ってから1年が経過しても回復の兆しは一向に見られませんでした。

そんな時、看病に疲れて息子を助けることのできない自責の念に悩んでいたジョアンさんは自らの命を絶とうとします・・・。

結果的には未遂で済んだのですが、ジョアンさんにはマーティンさんを介護する余力は残っておらず、今度は父、ロドニーさんが介護をすることになりました。

しかし、ロドニーさんは昼間に仕事があるのでその間はマーティンさんは介護施設へと預けられることになったのです。

出勤前に預けて、夕方に仕事を終えると施設まで迎えに行き、マーティンさんが眠るまで世話をし続けるという日々を送る父のロドニーさん。

施設が休みの日は1人でマーティンさんの面倒を見ることになります。

意識が戻らないまま、3年の月日が経ち、マーティンさんは16歳になりました。

ある日、マーティンさんは突如意識を取り戻します。

しかし、意識を取り戻したことを伝えたくても声を発することも視線を変えることも出来ませんでした。

マーティンさんは自分の意思を伝えることが一切できない状況、いわゆる「閉じ込め症候群」と呼ばれる状態になってしまいました。

徐々に意識が回復していき、19歳になる頃には自分の状況を完全に把握できるようになっていたといいます。

そして、自分の存在が家族の負担になっていることに対してとても苦しんでいたといいます。

マーティンさんにとっても家族にとってもお互いが辛い日々を過ごしていると感じていたのです。

そして、追い詰められた母・ジョアンさんが、ある言葉を口にしてしまいます。

心身ともに追い詰められていたジョアンさんは・・・

「この世を去ってくれたらいいのに・・・」

と呟いてしまったのです。

この言葉は本心ではないのですが、容態の良くならないマーティンさんの看病に精神的に追い詰められたしまったことで出てしまった言葉だったのです。

マーティンさんは目の前で母がそんな言葉を口にするのをただただ聞いていました。

彼は当時のことをこのように話しています。

彼は当時のことをこのように話しています

言われた通りにしたかった。

人生を終えたくて仕方なかった。

こんな言葉を聞くのに耐えられなかった。

母親の言葉を聞いて本当に悲しかったけど、でも彼女がなぜそんな事を言ったのか僕にはわかったから恨んだりなんかしていなかったし、

それどころか自分の気持ちを伝えられない方が悲しかったよ。

後にマーティンさんが本当は意識が戻っていた事を知って

涙を流しながらジョアンさんがインタビューに答えています。

涙を流しながらジョアンさんがインタビューに答えています

私は彼がまさか聞こえているなんて思いもしなかった。

私は何て酷いことを言ってしまったんだろう。

マーティンには本当に申し訳ない気持ちでいっぱい。

さらにマーティンさんは意思を伝えられない状況で起こっていたある事実を告白しました。

施設で受けていた苦しみ

マーティンさんの看病に心身共に疲れていた家族は時に数週間マーティンさんを施設に預けることがありました。

しかし、この施設はマーティンさんを人形のように扱う、とても最悪な施設だったそうです。

生活の殆どをこの介護施設で過ごしていたマーティンさんは職員からさまざまな事を受けていたそうです。

両親はそんな実態を知る由もありませんでした。

そして、マーティンさんがその事実を伝えることもできませんでした。

さて、マーティンさんが意識を取り戻してから約10年、

25歳になった彼は誰かが自分の変化に気づいてくれるはずという

希望を失っていました。

しかし、ある女性との奇跡的な出会いがマーティンさんの運命を変えます。

ある女性との奇跡的な出会い

もはや希望を失っていたマーティンさんですが、アロママッサージを担当する介護士のヴァーナさんという女性との出会いが奇跡を生みます。

ヴァーナさんはそれまでの介護士とは違い、マーティンさんをモノのようには扱いませんでした。

まるで友人のように話かけてくれます。

ヴァーナさんは長い間、マーティンさんの顔を見ながらコミュニケーションを図っていました。

そして、マーティンさんの顔を見ているうちにある疑問を持つようになったのです。

もしかしたら、マーティンさんに意識があるのではないか?

ヴァーナさんは、とある大学の重度障害者用センターにマーティンさんを連れていき、意識があるかどうかの検査を受けさせることにしました。

そして検査の結果、マーティンさんに意識があることが発覚したのです。

この検査結果を知ったジョアンさんは再び仕事を辞めることを決心し、一日中マーティンさんに付き添うことを決めます。

そして、一緒にコミュニケーションの訓練やリハビリに励みました。

リハビリを開始してから1年が経った頃、マーティンさんは赤外線で画面のキーボードの文字や画をポイントし、意思を伝えるコンピュータを手に入れ、それを使って会話することができるまでに回復していました。

そして、痛みに耐えながらリハビリを続けたマーティンんさんは5年後に自分の手でキーボードを打ち、パソコンを使いこなせるまでに回復。

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その後はパソコンの情報処理を専門的に学ぶために大学で勉強をして、フリーランスのウェブデザイナーとして活躍をしています。

さらに、妹の紹介で知り合った女性と結婚をして現在はイギリスで暮らしているそうです。

意識が回復しても動くことも喋ることもできず、ただただ寝転がっているだけのマーティンさん。

その苦しみは想像できないほどの恐怖だったことと思います。

そんな過酷な運命を乗り越え、現在はとても元気に暮らしているマーティンさん。

失われた時間の分も幸せになってくれることを願います。

 

もしも、私が彼と同じ状態になったら

「この状況を乗り越えることができるのか?」

「生きる希望が持てるのか?」

私なら無理かもと思ってしまいました。

皆さんはどう思われましたか?

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

出典元:dailymail/youtube

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