昔、父から教わった事。家族でケーキを食べるときに父親から教わった「分配」とは何か?
今回紹介するのは、佐川・抜け首・なん(@nankuru28)さんが投稿した昔、父から教わった事。家族でケーキを食べるときに父親から教わった「分配」についてです。
ぜひご覧ください。
「分配」とは何か?
昔弟があっちの方が大きいとか言うから、父がさ。
ロールケーキを買ってきて「好きなように切り分けろ」って。んで、弟は子供だから、当然、自分の分のつもりで、大小つけて切り分けたのね。
そこで父が
「分配というのは、責任を伴うものだ。分配を決めたものは自分の分は最後に取れ。」って。— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2019年6月21日
もうね、弟は泣きべそでしたよ。私は甘々ねーちゃんだったから、後でこっそり分けてあげようとか考えてたけど。
だけど、父の教育は正しかったって今でも思う。
あれは、食糧難の時代に「食い物の分配で血の涙を流したやつ」の魂の教育だったと思ってる。— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2019年6月21日
なんで、平等とか公正にとかが「必要なのか」って、ここをいつも思う。
人類の根源、食料の分配問題。
震災の時、4人家族で2個しかないおにぎりを一人で食べた父親って話があったけど、あれは「2個食ったんなら、それ以上の食料を持ってくる」以外では肯定できなかったからなぁ。— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2019年6月21日
父は等分に切るのが異常に上手だった。元の職業が大工だったってのも、あるとは思うんだけど。「分ける」のイメージは、父からの教えが強烈だったよ。「分配を決めるものには責任がある。その分配で自分が得をしようと仕組むなら後は知れている。多い時はなんでもいいが、少ない時ほど公正に。」って。
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2019年6月21日
それ以来、兄弟も全員「自分が選ぶのは最後だ!」って思うから、みんな「等分を考えて」切るようになったし、あっちが大きいの小さいのの喧嘩はしなくなったよね。基本は等分に。その後の個人取引は自由(^◇^)
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2019年6月21日
私は政治の基本は「分配」にあると思ってて。自分が切って、自分が大きいとことるのは、政治として間違ってるよなってなる。同時に、切って頂いたんだからって、なんで自分は最初から小さいケーキで当然だって思うのかが、理解に苦しんでるところではあるんだな。
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2019年6月21日
カッとなると「誰に食わせてもらってるんだ!」ぐらいは言う父ではあったけど。クリスマスのチキンを(七面鳥の年もあったな)切り分けて、分配するのは父の仕事で。全員が「美味しかったね、お腹いっぱいだね」を言えるよう気を配って、責任を果たした満足な笑みは、やっぱり忘れられないね。
— 佐川・抜け首・なん (@nankuru28) 2019年6月21日
日常を通じていろんなことを教えてくれる素晴らしいお父様ですね!
ネットの反応
すっごいいい話ですた。自分もいつか言ってみたいですな。
— 幸せ泥棒@唐揚げ大好き (@Luck_Stealer86) 2019年6月21日
ハーバード流行交渉術 って本でも、2人でけんかせず分ける方法として、片方が切り分け、もう片方が先攻で取る(これなら、どちらをつかまされても損しないように均等に切る…はず)って書かれてました。
— 文道館(ネコだいすき)語文セミロング (@bundoukan) 2019年6月21日
うちの母方の一族(山形の士族)の言い伝えで、
「おいしいものを食べるとき、独り占めすると、山から泥棒が降りてきてさらわれる」というのがありまして、母の弟は大好物の松前漬けを食べるとき、半泣きで「誰か、一緒に食べてー!」と叫んでいたそうです。— tachibana_yu (@tachibanaU) 2019年6月21日
いかがでしたか?
わたしも人に分けたりするときはこのやり方をしています(*^_^*)
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