『今って好景気だよね!?』なのに、佐川急便「30年前」の求人欄が・・・
今回紹介するのは、M16A HAYABUSA(@M16A_hayabusa)さんが投稿した佐川急便の「30年前」の求人欄です。
ぜひご覧ください。
佐川急便「30年前」の求人欄
佐川急便「30年前」の求人欄…
本当だったら今の時代、これ位の給料を貰わなければ本当に割りが合わない程に忙しいのに、何で給料が下がっているのか?好景気なのに… pic.twitter.com/hFbzmkrBLV— M16A HAYABUSA (@M16A_hayabusa) September 25, 2019
これくらい欲しいですよねーー・・・
ワタミの社長は佐川急便のバイトで月100万円以上貰ってたという本人談を活字で読んだことあります
— 黒井ミサ (@misa_kuroi999) September 25, 2019
当時、佐川急便にいましたけど今の会社じゃ考えられないほどにパワハラ凄かったですよ。
僕は新潟店でしたが、消費税導入直前だったので毎日18時間労働でした。手際が悪ければもっと帰れなかった。つづく
— ドランカー (@crash3570) September 25, 2019
つづき
毎日3時間寝れたら御の字で、5時間寝るのが夢のまた夢でした。当時の路線便の運転手の話では、東海地方の◯◯店ではシャ◯配っていたらしいです。
ずっと冗談だと思ってましたが、最近知り合った当地域のドライバーさんに聞いたら「本当ですよ」との事でしたw
これも時代なんですかねw
— ドランカー (@crash3570) September 25, 2019
最後に辞める時、「負けた」みたいで相当悩んで、
海軍として戦争に行っていた叔父さんに「俺って根性なしでしょうか」って相談に行ったら、「好き好んでそんな辛い職場に居る必要はないよ!生きる自由が保証されている時代なんだから、それは逃げじゃないよ!」って言われて肩からなんか降りた。
— ドランカー (@crash3570) September 25, 2019
なんか酒飲んだ勢いで30年も前の事をダラダラと書いてしまったけど、当時の佐川は給料は良かったけど
普通の人の2.5倍は働かせられていたしノルマも酷くて給料削られていたりもしていたので、今の人達が思うほど良くは無かったよ。20歳で年収720万あったけど。それでも今よりは良い時代だったかな。
— ドランカー (@crash3570) September 25, 2019
当時の佐川急便(ビジネス街の場合)は
・早朝にセンターに来て2tロングに積み込み
・8時くらいに受け持ち地区の道路に”路駐”
・ひたすら配達と集荷を”駆け足”で
・19-20時になったら集荷やめてセンターへ戻る
・センターでひたすら荷卸しという感じ(当時のセールスドライバー談)。今とは違う。
— mmasuda 香港加油 (@mmasuda) September 25, 2019
一番デカいのは「路駐」で、今みたいな路駐取り締まりがなかったので、路駐トラックが配送センターの代わりになってた。これで佐川は街中に営業配送拠点を作らずにドライバーに営業させることでコストをめちゃくちゃ下げて日通やヤマト運輸の法人営業向けシェアを取っていった。
— mmasuda 香港加油 (@mmasuda) September 25, 2019
1990年代に秋葉原電気街でパソコンショップのバイトしていた時「路駐取り締まりが強化されて佐川急便のトラックが路駐できなくなったら秋葉原の物流止まるよね」という笑い話があったくらい。まぁそういう時代でした。
なお「路上駐車監視員」制度が導入されて路駐取り締まり強化されたのは2006年。— mmasuda 香港加油 (@mmasuda) September 25, 2019
当時はトラック過積載取り締まりも非常に緩かったし路駐の件も含めて「脱法してコストを下げていた」側面があると理解しています。その「脱法で得ていた利益」がなくなったけれども価格を値上げできなかったのがトラックドライバーの待遇低下につながっている一面はあるはず。
— mmasuda 香港加油 (@mmasuda) September 25, 2019
あと少なくとも当時仕事で付き合いのあった佐川のセールスドライバーは皆バイトという名の歩合制日雇い契約で正社員ではなかった。なぜならばそっちの方が実入りがいいかららしい。日雇い契約なので2か月以上連続して働けないので2か月働いて1か月休むので地区担当ドライバーがころころ変わる。
— mmasuda 香港加油 (@mmasuda) September 25, 2019
(ひどいいい加減なまとめ)
当時の佐川急便セールスドライバーの高給は路上駐車や過積載トラックなどの違法な社会的迷惑行為が原資となっていた(もちろん当時が「バブル景気」だったのもあるが)。— mmasuda 香港加油 (@mmasuda) September 25, 2019
トラックドライバーの半分以上は、トラック生活がほとんどですね…。運輸会社で、財務していましたので、現実を見てきました。
— 尾辻 賢栄 (@ed761115) September 25, 2019
佐川急便事件が起きて経営がおかしくなった時でも、創業者の佐川清は「ドライバーの給料だけは絶対に下げるな」と幹部社員に厳命していた。
— やまやん (@8Knee5high6high) September 25, 2019
そうそう、トラックドライバーとか高給でした。若いうちにがんばって稼いで、自分で店やるとかありましたね。警備とか工場とかも割がよかったような。
— takashiy avion1960 (@takashy1960) September 25, 2019
昔は「高級激務」の代名詞でたくさん稼いでも使う暇がなかったくらいなのに、今じゃ完全に使い捨ての仕事になってる
— mtg@OverWatch (@yohanesenrei) September 25, 2019
いかがでしたか?
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もしよろしければ、ご意見ご感想よろしくお願いいたしますm(_ _)m
出典元:twitter
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