この世を去った父の戸籍を見たら・・・『昭和の壮絶な現実』を知って言葉を失った
今回紹介するのは、ケイ (@anagumakari)さんがTwitterに投稿した父親がこの世を去った際に手続きのために取り寄せた戸籍を見た時の出来事です。
ぜひご覧ください。
『昭和の壮絶な現実』を知って言葉を失った
父が亡くなった時、手続きの為戸籍を取り寄せて驚いた。昭和十年代、2年間に同じ戸籍の中で6人亡くなっていた。7歳だった妹はお腹を壊して一晩で亡くなったよ、とは聞いていた。一歳だった弟も翌年亡くなっている。若かった祖母も。医学が発達してない、ワクチンがない、という事はそういう事なのだ。
— ケイ (@anagumakari) December 20, 2017
たった2年の間に、身内を6人も失ったなんて・・・( ;∀;)
今では考えられないような、壮絶な苦労があったのですね。
「当たり前の命」など存在しない
父は風邪を引いた、お腹を壊したと言っては大騒ぎして、家族は苦笑していた。子供達のちょっとした病気や怪我にも大騒ぎ。
怖がりだね、と笑っていたのを今は申し訳なく思う。
こんな悲しい、恐ろしい思いを子供時代に体験してたらそうなるよ。— ケイ (@anagumakari) December 20, 2017
父が亡くなる数時間前、嬉しそうに「あれ、ワシの母さん・・」と虚空を見つめて、私と看護婦さんに教えてくれた。
誰よりも病を怖がった人だったから、看護婦さんが「ああ、よかったですね、お母様がそこに居てくれるなら安心ですね。」と言ってくれて、すごくホッとした顔をしたのが救いだったな。— ケイ (@anagumakari) December 20, 2017
父の話に沢山のリプをいただいて、昭和初期から中期、子供を中心とした「死」が余りにも身近だった事に驚きを隠せない。
数字で見る年別死亡者数ではなく、それぞれの家や人が体験したたくさんの、名前のある「死」。よくもこの短期間にそれを遠ざけてくれたと、先人や現代の医療者に感謝したい。— ケイ (@anagumakari) December 21, 2017
ネットの反応
本当にその時代の話を聞くと生きる重みを感じます。その悲しみの中でもお祖母様は生き、残った子供を育てられたのですものね。うちの父母は結核病院の入院中に知り合い、罹患の1〜2年前に出た新薬のお陰で生き残りました。その薬の承認が遅れていれば二人は亡くなり私も生まれなかった訳で。
— ケイ (@anagumakari) December 21, 2017
はじめまして。戸籍を見て初めて知ることってありますよね。今はカロリーオフ主流ですが、父母の時代は栄養=命を繋ぐもの、だったのですね。お話を伺っていろいろ考えさせられました。
— ケイ (@anagumakari) December 20, 2017
小学校2年生の時に結核にかかりました。町医者に行ってもただの風邪だと何度も言われてましたが大空襲の中、看護婦をやってた母が風邪じゃないと言って県病院で分かり完治しました。子供ながら凄く苦しかった記憶が今もあります。結核は苦しいかった・・・母と医学に感謝です。
— nifty尚 (@nifty_k) December 21, 2017
母は幼い頃は体が弱く、長くは生きられないという診断だったようですが、昭和20年代か30年代当時の1万円を超える薬を処方されて今健康に生きてくれてます。山奥で決して裕福ではなかった生活でしょうが生かす選択をしてくれた祖父母に感謝せねばですね。
— ぱてぃ (@PatyPuchan) December 21, 2017
いかがでしたか?
今私たちが生きているのも、この時代を乗り越えた祖父や祖母、父や母のおかげなんだと実感するお話でしたね。
改めて、生きている事に感謝する気持ちを忘れてはいけないなと思いました。
皆様はどう思いましたでしょうか?
もしよろしければ、ご意見ご感想よろしくお願いいたしますm(_ _)m
出典元:twitter
(Twitterの埋め込み機能を使って掲載しております。)
コメントを残す