知ってほしい事!マチュピチュのある村を作り上げたのは・・・『福島県から移住した初代村長の日本人』だという事をご存知でしたか?
皆さんはマチュピチュ遺跡をご存知ですか?
マチュピチュ遺跡は、南米ペルーのアンデス山脈にたたずむ。
行ってみたい世界遺産のランキングで常に上位に入る人気の観光地です。
その麓にあるマチュピチュ村には、観光の拠点として世界中から人が訪れる。
だが、この村を開拓したのが日本人移民の野内与吉だったという事実は、世界的にはあまり知られていない。
今回紹介するのは、マチュピチュ村を開拓した日本人についてです。
ぜひご覧ください。
マチュピチュのある村を作り上げたのは・・・『福島県から移住した初代村長の日本人』
マチュピチュのある村を作り上げたのは、福島県から移住した初代村長の日本人、野内与吉さんです。村にダムや発電所、水路もつくり、温泉も掘り起こし作りました。連合国側で参戦時には、ペルー政府は日本人を逮捕していましたが、村人が「日本人はいない」と身を守ったほど、尊敬された方でした。 https://t.co/exNP2dTxSg
— 連絡用よんよん (@renrakuyou_yon) 2019年5月23日
野内与吉さんが村を作りました。
野内与吉さんとは?
野内 与吉(のうち よきち、1895年(明治28年)11月18日 – 1969年(昭和44年)8月29日)は、ペルーのマチュピチュ村の初代村長。福島県大玉村出身。
1895年裕福な農家の家に生まれる。
1917年、21歳のときにゴム景気で湧くペルーに移民し、1923年よりペルー国鉄で勤務。マチュピチュまでの鉄道建設に携わったのを契機にマチュピチュに移住。
1939年にマチュピチュ地区の行政最高責任者に就任、マチュピチュの村昇格直後、1948年から2年間、村長を務め、1969年に現地で物故するまで、村初のホテル「ホテル・ノウチ」を開業したり、水力発電所を作ったりするなど村の発展に尽力した。
ホテルは初の大型木造建築でもあり、1階部分を交番や郵便局として無償で貸与、後に2階部分も村長室や裁判所として村のために提供し、ホテル・ノウチを中心に村が発展することとなった。
2015年、マチュピチュ村は、野内の故郷、大玉村と同村にとって初となる友好都市協定を締結した。
引用元:野内与吉 – Wikipedia
地元の人の伝説にもなっている?
またマチュピチュの地元の人の伝説として、海から日本人がやってきて、マチュピチュを作った。というものもあるそうです。
— 連絡用よんよん (@renrakuyou_yon) 2019年5月23日
標高2000mを超える、山頂の都市マチュピチュには水路があります。雨水をためて使用するのは想像できますが、ためていなくても水が流れます。この水源はどこからの物なのか、今でもわかっていません。 pic.twitter.com/qc0IjlFXME
— 連絡用よんよん (@renrakuyou_yon) 2019年5月23日
野内与吉さんの息子さんもお孫さんも、マチュピチュ村に関係していらしたのですね。与吉さんは60年代に日本に51年ぶりに帰国した際、日本に暮らすように福島の親族に説得されましたが「妻子が待っている」とマチュピチュ村へ帰ったそうです。その翌年に、お亡くなりになられました。
— 連絡用よんよん (@renrakuyou_yon) 2019年5月23日
それが縁で、マチュピチュと福島県大玉村は姉妹都市の縁を結んでいるのでしたね。
— たち (@tatchy0313) 2019年5月23日
ブータンも
おお!吾輩の記憶あってた!!
因みにブータンも60年代に西岡さんって人が乗り込んでブータンを大農業国にしちゃった。だから日本の農村風景とブータンのそれは瓜二つ。— 暮維持 飛衛郎 (@crazypierrot_00) 2019年5月23日
いかがでしたか?
私たちが知らない偉大な日本人がまだまだ居ます。
これからも偉大な功績を残した日本人を紹介したいと思っておりますのでよろしくお願いします。
出典元:twitter
(Twitterの埋め込み機能を使って掲載しております。)
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